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社会資本整備という使命
File.02 港町の再生

東日本大震災による被害が、特に大きかった女川漁港。もとあった港の形状がわからないほどに壊滅的な状況の中で、漁業や港町の産業と、その町で暮らす人々の日常生活を一日も早く取り戻すための、懸命の復旧業務事例。

[Profile]

井上 朋也

2010年入社 仙台支店 設計部
東京大学・院 新領域創成科学研究科 自然環境学専攻 修了

子どもの頃の家族旅行で瀬戸大橋を渡ったとき、「こういう大きなモノを造れる人になりたい」と思ったのが、建設コンサルタントの世界に通じる最初の記憶。大学時代に岩手での研究経験があることから「復興事業に携わってはどうか?」と上司からの提案に自ら志願して仙台に。

女川は、地震によって地盤が約1.4メートルも沈下しました。少しの高波でもすぐに水が内陸に流れ込んできてしまうような状況だったため、いざという時はすぐに避難できるよう、携帯ラジオを持参しながらの現地調査でした。

私がこの業務に携わり始めたのは、地震から3ヶ月経った頃で、現場はまだ瓦礫の山でした。もともとの護岸や道路の形状を知るための台帳も津波で流されてしまっていたため、構造の決定に時間がかかりました。道路がアスファルトだったのか、コンクリートだったのか。舗装厚は何センチだったのか。津波で破壊された護岸の形状はどうだったのか…。元の形状が分からない状況からの作業であったため、形状を把握することから始めました。一般的に行う設計と違い、自治体や地元との調整が多く、大変な仕事でした。一日も早く…と焦る思いを抱えながら、短い期間の中で、一日一日、必死に取り組んだことを覚えています。

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私が初めて岩手県の被災地に足を踏み入れたのは、震災があった年の冬でした。大学院時代、海洋の研究をしていた頃に知り合った岩手の人たちを訪ねたのです。お世話になった人たちの被災した姿を目にした時のショックは、ずっと脳裏に焼き付いています。そんな経緯もあり、私にとって女川漁港での仕事には人一倍特別な思いがあります。津波に襲われるまでの日常とはかけ離れた壊滅的な状態を、一日も早く元に戻したい。土木技術者にとって「人命と財産を守る」というのは一番の使命ですが、生活の基盤を1から立て直さなければならない復旧業務では、特にその重みを感じさせられます。

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